マニラ娘純情。Manila Photo Virgin. "好きですマニラ manila love..." White edition


クリスマス・正月商品も並び始めたバクララン



『馬鹿に、馬鹿と言う、アンタも馬鹿』

結構気に入ってる言葉です。

『ジャパユキ嬢』が、威張った日本人がフィリピン人女性ホステスを、罵倒していたときの一言だ。


「その通りだ!」然りである。


この『馬鹿!』と、フィリピン人に向って言ってる光景には、『威張る』という行為が必ず伴う。

自分一人では、フィリピンにいて100m先でも歩いて行って用を足すことも出来ずに、性具兼、ガイド兼、通訳兼、介護人としてフィリピン人女性を、付き添えている日本男性。

カネを払う時には、「威張り」はより反り返りが大きくなる。私にはこの「威張っている日本人」が、フィリピン人女性に言われる都度財布を出す光景が、財布係にしか見えないのだ。


『大人の甘えは威張る』として、現れる。

「ママ〜 お腹が空いたよ〜」の大人版である。


脇目からすれば、そんなに相手を馬鹿だと想うなら、一緒に居ることも無く自分で全部なさればよろしい。と想うのだ。

フィリピン現地でも企業の責任者からも「フィピン人は簡単な計算も出来ない馬鹿が多い」などと言うひともいる。
まるでそれは、フィリピン人従業員スタッフだから、生産性も向上せずに、生産管理も、成果物の品質も悪いと言わんばかりだ。

確かに簡単な計算も満足に出来ない人も、数日先の予定も立たない人も居る。しかしそれはフィリピン人だからなのだろうか?

それを話している相手が日本人で、日本人という共通項に配慮して、従業員の仕事での期待に反する結果を、「フィリピン人は………」として表現しているのではないのでなかろうか?

日本に居れば「地方出身者は」「三流大学出身者は」「地方採用は」「部落出身者は」「朝鮮人は」いろんな言葉が、話す相手をみて、その相手には気分を害する表現とならないように計算したうえで、別の言葉をこの人は投げかけるのではないのか?

その会社の人事権も管理権も、会社の社長や現地責任者たる日本人にある。
その企業で起こりえることは、全て自分が解決できる立場にあるのではないか?





昔から日本では『馬鹿とはさみは使い用』という言葉がある。
今はすっかり見ることの無くなった日本ばさみの時代の話で、握り方や力の入れ方では捩じれた力が加わって、すり切りが上手くいかずに、使う人によっては、糸も紙も切れないのである。

その相手の能力を知っていれば、その能力にあった用い方をすればいい。
はさみの使い手によって、はさみの能力も変わるという意味である。

だからこのような話を聞くと「そのフィリピン人を使いこなせない貴方は何?」例の『馬鹿に、馬鹿と言う、アンタも馬鹿』を思い出す。

フィリピン系ブログでもこの手の記事をしばしば目にする。
その度このことを思い出すのであるが、そういう人に限ってそのイライラ記事の数日後には、必ず自分の能力の高さや自社の優秀性を訴える。
「上手くいっていない話」を書いた後、自慢にもならない自画自賛が登場する。

『フィリピン人は馬鹿だ』と言った後で『使う私は馬鹿ではないですよ』という、いいわけとも受けとれるから面白い。
きっと当人も『馬鹿とはさみは使い用』の話を知っていて、己の能力に気がついているのかもしれない。

まぁ〜 優劣は置いといて、変わった人と甘えん坊の多い、フィリピン日本人社会でもある。


ということで、連休を使って渡航中の皆さん。
想いっきりフィリピン人女性に甘えて来てください。


「ママ〜 僕おっぱいが欲しいでちゅ〜」







これだけの駄目さを語る人が多い中で「麻生総理が………」と、あえて語る気がしない私めです。イラストレーター松村宏氏が宮崎駿監督の日本外国特派員協会で講演(11/20)について書かれた『似顔絵ニュースヘッドライン』です。

この松村宏氏のつけたコメントに共感しています。
「生産大国」は、いつのまにか「消費大国」になり、作る喜びも創造性も影を隠してしまいました。

「子供がどんどん純粋な消費者になっていってる」

日本人の大人を見ていれば、もっと解ります。
『働かないで何もしないで生きてる人が優秀有能な人』だと考えてか?、学校卒業後のニートや親の年金をあてにパラサイトが増えているのだとか。職種を選ばなければ、仕事が無いわけではない日本の若者諸事情です。

『フィリピンに移住』と言いながら、水が口元まで浸かって来ても尚放蕩を続け、生活の窮状を訴える日本人成人を見ていると、感じるものがあるのです。
「株だ」「フィリピンライブチャットでガッポリサイドビジネスだ!」として、興味を示すのは「不労なカネ」身体を使うのは「女」にだけ………。救済を求める前に、何か「違和感」を感じる私です。


松村 宏の



バーチャル顔
宮崎駿監督


日本外国特派員協会で講演(11/20)
麻生総理が漫画好きを公言していることを
恥ずかしい
ことだと思う。
それはこっそりやればいいこと
と話したそうな。
宮崎監督の持論は
現代の子供達の環境が
アニメ、ゲーム、携帯、マンガなど
バーチャルなものばかりに囲まれてしまっていて
子供達の本来持つ力を奪い取っているというもの。
日本に一番必要なのは
政府が言っているような
くだらないことではなく、
子供達のための環境を整えることで
もっと子供達の能力を信じ、
力を引き出す努力を推し進めること、だそうな。
まったく同感だ。
街でも田舎でも、外で走り回って
遊んでる子供たちを見ることが
めっきり少なくなってしまったもんね。
たまに子供たちの一団を見かけることがあっても
それぞれみんなゲーム機を
操ることに一生懸命で
コミュニケーションをとってない。
だからとても「遊んでいる」ようには見えない。
バーチャルの中で遊んでいるんだ、と
反論も可能だけれど
あれは遊んでいるんじゃなくて、
消費してるんじゃないだろうか。
大人が用意した商品としての娯楽を
ひたすら消費してるに過ぎない。
しかれたレールの上を走るだけ。
本来、「遊び」が持っている創造性がない。
自分で作るという生産性に乏しい。
日本は少子化がすすんでいるというけれど、
子供がどんどん純粋な消費者になっていってる方が
ずっと問題だと思う。
作る喜びを知らずひたすら消費だけする存在は
もはや子供と呼べない。
日本の未来には生産者がいなくなってしまう。
そういう危機的状況にあることを
総理大臣がまったく気がついていないのではないか。
たぶん、そんな意味で宮崎監督は
麻生さんに苦言を呈したんだと思う。
でも、いまネットでは宮崎監督の発言をめぐって
「オタク批判か?」とか「マンガ読むのが恥ずかしいなんて
それでメシ食ってるのに、天に唾する行為だ」などという
カキコミがあふれているそうな。
う〜ん。

〜松村宏の「かおかぶランキング」http://www.kaokab.jp/より〜

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